【古代史を追いかけて】
「河姆渡文化痕跡を追う」
河姆渡…鹿本…加茂…蒲生…
河姆渡は、大陸の地名で揚子江沿岸に在った古代の集落と云う。
中国大陸の歴史上、多民族国家の争乱によって、平和な集落は襲撃を受け追いやられてゆく。
挙句の果てには、命からがら脱出し海に漕ぎ出したのではないか?
辿り着いた地は、河姆渡と似ていたに違いない。
温暖で水のある肥えた土地。
カモトと名を付け、米作と製鉄の技術を伝えた。
鹿本一帯は米作に適していた。
更には上内田川では砂鉄が採れた。
偶然の様な神掛かった運命的な出会いが生まれたのだろう。
菊池、七城、鹿本、菊鹿…
弥生時代後期、大陸から流れ来たる河姆渡文化は、この地に漂着したと伝承が残る。
米作の始まりです。
菊池川の扇状地と云う立地、その頃は恐らく茂賀の浦が在ったのだろう。
何気なく通り過ぎてしまう景色の中に貴重な歴史の足跡👣が在るかもと思います。😊
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